マスターの旅話総集編
こんな感じ
ヒッチするサチ(20年前)
これが洞窟
洞窟の住人
笛を吹く道化師
ステハのMENU本の最後のページに「マスターの旅話」があります。
メニューを今の形態にした10年位前から各メニューに違う旅話を載せているんですが、結構好評みたいでよく読み込んでいるのを見かけます。
お客さんによっては会計の時に「面白かった」「あれ読んだんですけど凄いですね!」のお言葉も頂けること多し。そんなんならいっそうの事、一冊にまとめて読み物本にしておこうか、というのが写真にある冊子です。
全12話だったのですが(メニューが12冊なので)今回2話追加しまして14話となりました。そういえばオンライン情報としては公開してないなと思い、今回最新作をブログにUPします。と言っても20年前の話ですが。。。
面白かったら「いいね」してくだされ!
【スペイン編 2003】
旅には不思議なことがたくさんあります。長い旅になるとなおさら、あれがここにつながっていたんだ、と気づいてその壮大さな物語に感動したりします。今回はそんなスピリチュアルなお話をしたいと思います。南アフリカで知り合ったドイツ人の旅人と話をしていたら、我々が行く予定のスペインに友人がいるから尋ねるといいと言われ、簡単なメモをもらいました。でもそのことをすっかり数か月も忘れていました。
旅は南アフリカから西アフリカのガーナへ飛び、ブルキナファソ、マリを旅していました。そこでガイドに嫌な騙され方をして落ち込んでいました。その後、どうしてそんなことをするんだろうと考えていると、フランス植民時代から散々搾取され続け、彼等に何かトラウマができてしまったのかしれないと思いました。人種というのは同じであれば同じで意識しすぎるし、違えば違ったで差別したりして平等にはなれないものです。日本人も白人に対してコンプレックスを持っている。でもそういう考えをなくしていきたいと思っていたところでした。
西アフリカからモロッコに北上する頃、なぜかあのドイツ人のくれた紙切れのことを偶然思い出したのです。それをもう一度見てみると、なんとそこには大雑把な地名と名前だけしか書かれていなかったんです。これじゃ探しようがない!普通ならそれで諦めるのに、なぜか行ってみようという気になりジブラルタル海峡を渡り、スペインのグラナダ辺りのバスターミナルに着いた時、心当たりがあるかバス会社の人に聞いてみました。
そこにスペインの地名ならどこでも知っていると豪語するスタッフがいて、聞いてみるとバスで近くの町まで行けることが分かりました。翌日その町に辿り着いて再度現地の旅行代理店にその地名を聞いてみると、その場所は2箇所ある、ひとつは山の山頂で、もうひとつは山の麓にあると。でもなぜか瞬時にその場所は山頂であるという感覚が浮かんできました。しかもそこに行く公共の交通機関はなく、ヒッチするしかないと言われました。
飽くなき好奇心に包まれていた我々は、絶好のヒッチポイントを教えてもらい指を立てること2時間、流石に難しいと感じはじめ一服してからあと10分やって駄目なら諦めるかと指を立てた瞬間、一台の四駆が停まったんです!「おぉ~停まった~!」出てきた運転手はドレッドの黒人で、聞けばジブラルタル人。誰も行かないようなその場所を告げると、「乗れよ!」と一言。マジか!そこに行ったことはあるのかと聞くと、よく行くと。車は山道をグネグネと上り続け、やがて山頂が見えるとそこには城が見えました。ハッとした後、なんだかゾクゾクしてきた。
車を降りて礼を言うとすぐに彼は去っていきました。そしてドイツ人にもらった紙切れを握りしめ、近くにいる人にその名前を聞いてみると、その人物は城の中でお店をしているというのです。早速、満を持して城に向かいその店を探してみると、その店は休業中で店主は旅に出ているとのことでした。でも本当にあの紙切れに書かれていた人物がいたこと、そしてあんな情報だけで我々がそこに辿り着けたことに感動した。城を後に下り坂をゆっくり歩いていると昼間からテラスでビールを煽っていた輩から「どうした?お探しの人はいたかね?」と聞かれた。「いや、いなかった。」
するとそのうちの一人がこっちに来てついてこいと。泊まるところがいるだろとつぶやきながら。連れていかれたのは山の頂きの真下にえぐられるようにできた洞窟でした。そこにはなんと先客がいて、クロアチア人の男が2人住んでいました。ゆっくりしていけばいいと言われ、信じられないかもしれませんが我々はそこに数日滞在することになったのです。でもどうやって洞窟で生活しているんだと聞くと、近くの人が住んでいない家の庭の蛇口から水がでるんだと。洞窟にはボロボロのベッドのマットがあって、そこで寝て火をおこして水を汲みどこかで手に入れた野菜を鍋に入れて煮込むような食事をしていました。そしてその頂きからは眼下に雲を望む絶景が広がっていました。次の日、子連れの笛を吹く道化師が現れ雲上の演奏を披露していたり、とにかくなんなんだここはと、登場人物的には映画か何かなのではないかという世界が目の前に広がっていきました。完全に現実社会から隔離された世界。
そんな生活を2日間くらいしていたら、ヒッチに乗せてくれたドレッドの男がいきなり洞窟にやってきました。なんで俺達がここにいることを知っているんだと聞くと何も言わず会わせたい人がいるからついて来いと。言われるがままについていくと、森の中に何年も動かされていないであろうキャンピングカーから一人の老人が現れました。そして老人は言いました。「あなた達が来ることはわかっていたよ。」え?何て言いました?
老人はTONYというチェコスロバキア人で、もう何年もここに住んでいるそうな。彼との会話も非常にスピリチュアルでした。彼は日本がアジアで飛躍した国であることに興味を持っていて、それを伝えに来る者が現れると予言していたのです。要はいわゆるグルなんですね。そして僕等はちょうど西アフリカの旅から人種のコンプレックスについて解放されたいと思っていたところでした。TONYとの会話は自然とその話になり、僕は日本の話をするのになぜか日本の調味料の「さ・し・す・せ・そ」さは砂糖、しは塩、すは酢、せは醤油、そは味噌。そしてそこが味噌だという意味はそれが一番重要だということなんだよと伝えました。
その瞬間、老人は味噌は何色だと聞き、俺は茶色、Color of Soilと答えた。それは黄色人種を意味していた。そして同時に大きく頷いた。老人は調味料の色を通して日本の大地に根ざした文化であると納得し、我々も肌の色に日本人の大きな自信を持っていいという確信から、まるで必要のないコンプレックスから解き放たれた瞬間だった。ここに導かれた意味、その運命、これが全て偶然ではない必然だったという長い長いストーリーが今、完結した瞬間でもあった。
ハグをして老人と別れ、城を横切りアルテサニア(手作りの物売り)の女性からウィンクされた。まるで今我々に何が起こったかを知っているかのように。そして、あのドレッドの男はグルの僕だったのだろう。それから雲の上を歩いているように数日前にヒッチして上ってきた道をゆっくり歩いていった。どこまで歩いたら町まで辿り着くのか全くわからなかった。だんだんと正気に戻ってきたような気がすると、無性に喉が乾いていることに気づき麓近くに一軒だけあったレストランに入って、コーラを1本欲しいと言った。でも店主は何も言わずにコーラを2本差し出した。いや、1本で大丈夫、いいから飲めよ。といった無言の会話があったような気がした。しかもお代は要らないと。みんな何もかも知っているかのように。おそらく、いやきっとここにやってくる人はみんなグルに導かれてやってくるのではないか。なんの証拠もない、いや要らない。ただ起こることの偶然性を解釈しようとすればするほど、それしか答えは見つからなかった。だから旅はやめられないんだ。またいつか旅に出ようと思う。