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SHIMOKITAZAWA
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新連載!マスターの旅話vol.1 中国編(1985年)

Kurato19歳!初海外、感動の毎日

ステハのメニューをじっくり眺めたことのある方はご存知かもしれませんが、各テーブルに置いてあるメニューの1ページに「マスターの旅話」コーナーがあります。しかも11冊あるメニューに全部違う話が載ってます。
こんな時代になってしまいましたが、今こそ!これまで培ってきた様々な体験を活かすとき。という事で、マスターの旅話連載スタート!メニューには載ってない新ネタも登場するかも。

 

もう35年前(1985年)の話になりますが、海外初の旅行が中国。
神戸港から鑑真号で船に揺られること2日、甲板で卓球をしても船酔いすることもなく、3等雑魚寝でも不自由もなく、なにやら臭~いと思い甲板から進行方向を眺めると上海の街が霞んで見えてきました。

中国の洗礼です。たった15万円で海外に2ヶ月行けると友人に誘われのこのこやってきた国は、僕に想像を遥かに超える体験をさせてくれました。漢民族90%、その他モンゴル、ウイグル、チベタンといった少数民族からなる大国は様々な顔を持ち、4000年の歴史が実にゆっくりと流れて今に至るのを感じます。

しかしながら、その文化レベルは日本と比べるとまるで戦後間もない日本を見るようで、昔の白黒テレビのドキュメンタリー映画が目の前に映しだされました。高級ホテルにインベーダーゲームが堂々と置かれ、通貨は当たり前のようにブラックマネーが横行し、どの商店に行っても「没有(メイヨー)」※ありませんの意、と吐き捨てるように言われ、トイレは個室はおろかツイタテすらありませんから、女人の尻からにゅ~と出てくるのを背後から観察してるから出るものも出ない。

 腹が減ったので、屋台の牛丼屋で食べた牛丼の肉にやけに毛がついて気持ち悪いなぁと思っていると、テーブルの下に10匹ほどの猫が足にまつわりつき、猫丼だと確信したし、中国人は食べないものはないと聞きます。白人のパッカーは白米があまりに岩のような塊になっていたので箸を中心に突き刺し、アーメンと唱えて立ち去っていきました。

 チベットのラサにいた時、市場でやけに血だらけの人がいて、物騒だなぁと思っていたら暴動が起きていて、これが普通なのか、異常事態なのか分からないけどヤバいだろうと思い、どうにか脱出してきたけど。翌日成都に辿り着くと、新聞にデカデカと戒厳令が敷かれていました。でもそんなの当時は、NOTHING UNUSUAL(よくあること)なのです。 

 中国最西端にあるウルムチから広州までの4000kmのシルクロード鉄道を3日かけて南下した時のことです。マイナス20度から30度の場所に列車で行く旅です。凍える寒さを凌ぐのに動物の毛皮を身にまとい、セーターを重ね着して出発したのはいいけど、南下していくうちに異常に暑くなる。中国の列車の中は不潔を極めた場所で、みんなタンは吐き放題、食べカスは散らかし放題、お茶を異常に飲むので熱湯配給の時の修羅場は凄い、席のない人が地べたに寝てるとこに熱湯をまきちらす、当然奇声・罵声が飛ぶ。うるさいのなんの、そこへきて僕はそ知らぬ顔して不要になった洋服を窓からポイポイ捨てだした。まるで、札束を捨てる気の狂った人を見るように中国人は目玉を飛び出して、「アイヤー!」とたまげていた。

いやぁ~、この光景はショックでしたよ~、僕の方がね。